無罪とは?不起訴との違いや無罪となる事例を解説
無罪とは、刑事裁判において、被告人の罪が立証されなかった場合に下される判決です。
この記事では、無罪について関心をお持ちの方に向けて、無罪の意味や、無実や冤罪などとの違い、無罪となるケースや無罪を争う際のポイントなどについて、弁護士が解説します。
無罪とは?
無罪とは、刑事裁判において、被告人の罪が立証されなかった場合に下される判決のことをいいます。
無罪の意味
無罪は、被告人の罪が裁判上立証されなかったという裁判官の判断であり、その事件について被告人は罪に問われないことを意味します。
被告人の罪が立証されると有罪の判決が出ますので、その反対、つまり罪が立証されなかったときには、無罪判決が出るということになります。
無罪は、辞書的な意味としては「罪が無いこと」という一般的な意味を持ちますが、刑事裁判における用語としては、以上のように、裁判上罪が立証されなかった際に出る判決のことをいいます。
「罪が立証されなかった」というのは、「罪がないと立証された」こととイコールではない点に注意してください。
罪がないと立証されれば当然無罪の判決となりますが、仮に罪がないことまでの立証がなくとも、罪があることの立証がされなければ、やはり無罪判決となります。
つまり、被告人の犯行でないと断定できた場合だけでなく、実際に被告人が犯人であるかが判断できないという真偽不明の場合にも、判決は無罪となるのです。
これは別の視点から見ると、検察官が有罪の立証責任を負っているのであり、被告人の側で自身の無罪を立証する必要はないということもできます。
無罪の英語
無罪は英語で、”not guilty”と表現します。
これは直訳すると「有罪ではない」という意味で、上記の有罪が立証されていないというニュアンスと一致する表現といえます。
また、あまり見慣れない単語かもしれませんが、英語の無罪には“acquittal”という単語も存在します。
無罪放免の意味
無罪放免とは、無罪となった容疑者がその身柄を解放されることを意味します。
「放免」とは、身体の拘束が解かれて自由になるという意味です。
つまり、無罪放免というときは、単に無罪の判決を受けるだけでなく、これによって身柄の拘束が解かれて自由になるという意味までをも含む表現となります。
無罪と不起訴との違い
不起訴とは、容疑者を起訴しないと検察官が判断することをいいます。
容疑者に無罪判決が出るのは、起訴されて刑事裁判が開始された場合ですので、不起訴となれば、有罪無罪が問われる以前の段階で事件が終了することになります。
検察官は、容疑者を起訴するか否かについての裁量を有しており、容疑者の性格や年齢、犯罪の状況といった諸事情を総合的に考慮して、起訴不起訴を決定します(刑事訴訟法248条)。
このような運用を「起訴便宜主義」といい、検察官は、容疑者の犯行に疑問が残る場合だけでなく、示談が成立している、被害が軽微で容疑者も反省しているといった理由によって、不起訴とすることもあります。
不起訴は、裁判官ではなく検察官の判断である点や、犯行が明らかな場合であっても出る可能性がある点で、無罪とは異なります。
不起訴処分についての詳しい解説は、こちらの記事をご覧ください。
無罪と無実との違い
無実とは、犯罪の嫌疑をかけられている人が、実際にはその犯罪を犯していないことをいいます。
無罪となるのは、容疑者が無実である場合だけでなく、実際は容疑者の犯行であるが、そのことが裁判上立証されていない場合もあります。
無実が、実際に犯行を行ったのは容疑者ではないという真実の問題であるのに対し、無罪は、真実はともかく、容疑者が犯行を行ったと断定できないという裁判上の認定の問題となります。
実際には被告人が犯人ではあるが、そのことが裁判で認定できずに無罪判決が出るというケースもありますので、無実と無罪は必ずしもイコールではないことになります。
無罪と冤罪との違い
冤罪(えんざい)とは、犯行を行っていない人に対して、誤って有罪判決を出すことをいいます。
つまり冤罪は、本当は無罪判決を出すべきであるにもかかわらず有罪となったケースといえます。
冤罪はすなわち、無実の人間に刑罰を科すことを意味しますので、国家による重大な人権侵害であり、絶対にあってはならないものです。
無罪推定とは?
無罪推定とは、刑事裁判において、有罪判決が確定するまでの間は、被告人を罪を犯していない人として扱わなければならないという原則のことをいいます。
この原則の下では、被告人は有罪が立証されてはじめて犯罪を犯した人と扱われることになり、それまでの間は罪を犯していないものと扱われる(無罪と推定される)ことから、無罪推定の原則といいます。
被告人は無罪と推定されているため、検察官がこの推定を覆すことができなければ、裁判官は立証不十分として無罪の判決を出すことになります。
また、検察官によって立証が尽くされていない事実については、被告人が無罪と推定されている結果、被告人にとって有利となるように認定しなければなりません。
このことは、「疑わしきは被告人の利益に」と表現されます。
被告人を有罪と決めつけて裁判をすることは冤罪を生む危険をはらむため、無罪推定の原則は、刑事裁判におけるたいへん重要な原則といえます。
なぜ無罪判決が出るのか
日本の刑事裁判では、統計上起訴された事件の99.9パーセント以上が有罪判決となります。
有罪率がこれほど高くなるのは、検察官が絶対に有罪判決を獲得できると確信した事件だけを起訴しているという事情によるものです。
それでもなお、有罪率は100パーセントにはわずかに及ばず、非常に少ない割合ながらも無罪判決が出ています。
無罪判決が出る理由としては、次のようなものが考えられます。
無実のケース
まず、起訴された容疑者が実際には犯人ではないという無実のケースがあります。
検察官が確信をもって起訴しているといっても、その判断が100パーセント常に正しいとまではいえません。
中には、検察官が判断を誤り、無実の人が起訴されることもあります。
誤って無実の人を起訴した結果、裁判でそのことが判明して無罪判決が出るのが、無実によある無罪判決のケースです。
無罪推定の原則により無罪となるケース
容疑者が無実である場合のほか、無罪推定の原則によって無罪となるケースもあります。
無罪推定の原則とは、刑事裁判において、有罪の立証がされない限り、被告人は罪を犯していないものと扱わなければならないという原則のことです。
この原則の下では、被告人が無罪と推定されている結果、検察官の側でこの推定を覆して、被告人の有罪を立証する必要があります。
つまり無罪推定の原則により無罪となるケースとは、検察官が有罪の立証に失敗したケースということができます。
無罪推定の原則により無罪となるケースでは、必ずしも被告人が無実であるとは限らず、本当は被告人の犯行であるが、そのことが証明されていないというケースも含むことになります。
これは真犯人を逃しているという見方もできますが、逆に「有罪推定」としてしまうと、今度は無実の人が誤って処罰される冤罪の危険が生じるため、絶対に冤罪被害を生じさせないという観点から、やむを得ないものと考えられています。
捜査過程に重大な違法があったケース
犯罪の捜査過程に重大な違法があったケースでは、無罪判決が出ることがあります。
たとえば、職務質問に伴い、本来必要である裁判所の令状(捜索差押許可状)がないにもかかわらず、勝手に対象者の荷物を開け、中から違法薬物が発見されたとします。
このような場合、その発見された薬物は、違法な捜査によって発見された「違法収集証拠」として、裁判で使用できない可能性があります。
証拠が違法なものとして裁判から排除された事件では、被告人の犯行を証明する証拠が存在しなくなる結果、無罪となるケースがあるのです。
「所持品検査が違法に行われたとしても、薬物を所持していた事実には変わりないのだから、無罪となるのはおかしいのではないか」と考えられる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、違法に収集された証拠によって犯行を立証することを認めてしまうと、裁判では問題なく使えるからということで、人権侵害を伴う違法な捜査手法での証拠集めが横行することになりかねません。
そこで、このような事態の発生を抑止するため、収集過程に重大な違法がある証拠は裁判から排除するものとされているのです。
違法収集証拠であることが起訴後の裁判で明らかになった場合には、犯行を証明する証拠が存在しなくなることにより、無罪となるケースがあり得ることになります。
責任能力がないため無罪となるケース
刑法では、犯人に刑罰を科すためには、その犯人が犯行当時責任能力を有していることが前提となります。
責任能力とは、物事の善悪を判断して、その判断に従って行動することのできる能力のことをいいます。
そのような能力を欠く状態で行った行為については、責任を問うことができないため、有罪とすることができません。
実際に裁判で責任能力の欠如を理由に無罪となるのは、容疑者が心神喪失であった場合が中心です。
心神喪失のケース
心神喪失とは、精神の障害により、前記の責任能力が欠けている状態のことをいいます。
刑法では、「心神喪失者の行為は、罰しない。」と定められています(刑法39条1項)。
参考:刑法|電子政府の総合窓口
これは、精神の障害により善悪の判断ができないか、できたとしてもその判断に従った行動ができない人に対しては、たとえその行為が犯罪に当たるものだったとしても、刑罰を科すことができない旨を定めたものです。
100パーセント有罪を立証できると確信できる事件だけを起訴するという検察庁の運用に照らすと、犯行時に容疑者が明らかに心神喪失の状態であった場合は、不起訴となるものと思われます。
つまり、心神喪失で無罪となるのは、検察官は責任能力があると判断して起訴したものの、裁判でその点が争点となり、裁判官が心神喪失と判断したケースということになります。
刑法には、心神喪失と似た概念として、「心神耗弱(しんしんこうじゃく)」というものがあります。
心神耗弱は、責任能力が著しく制限されている状態をいい、心神喪失のように責任能力が完全に失われているわけではありません。
心神耗弱では、善悪の判断や行動の制御に関する能力を喪失したわけではなく、制限されているにすぎないため、刑法では、心神耗弱者の行為については「その刑を減軽する」と定められるにとどまっています(39条2項)。
心神耗弱は、容疑者の責任能力を問題としている点で心神喪失と似た概念ではありますが、心神喪失とは異なり、心神耗弱だけを理由として無罪となることはありません。
無罪の有名な裁判例
無罪判決が出る割合は非常に少なく、中には著名な事件として知られているものもあります。
ここでは、無罪判決が出たことで有名な事件をご紹介します。
神戸5人殺傷事件
神戸5人殺傷事件は、2017年に兵庫県神戸市で発生した無差別殺傷事件です。
この事件では、被告人が犯行当時、統合失調症の影響により心神喪失状態であったことが認定され、無罪判決が出ています。
容疑者の責任能力が問題となる事件では、精神鑑定の結果が医師によって食い違うケースもあり、検察官としては刑事責任を問えると判断して起訴したものの、裁判所がこれを認めず無罪判決となるケースがあります。
袴田事件
袴田事件は、1966年に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件であり、一度起訴され死刑判決が確定したものの、後に再審により無罪が確定した冤罪事件として知られています。
この事件は、有罪の根拠とされた証拠の信用性について弁護団が丁寧な検証を重ねていった結果、最終的に捜査機関によって捏造されたものと判断され無罪となった事件です。
死刑判決から再審無罪が確定するまでに実に40年以上の時を要し、一般の国民にとっても、人が人を裁くことの重みを考えさせられるきっかけとなった事件といえるでしょう。
参考:袴田巌さん無罪確定 検察が控訴権利を放棄 逮捕から58年|NHK
無罪となったらどうなる?
無罪判決が出た場合、その後どのような処遇となるかは関心事項のひとつです。
無罪の場合は、当然ながら有罪に対するペナルティである刑罰が科されることはありませんが、事案によっては刑罰以外の負担が生じることもあります。
有罪の立証ができない場合
有罪の立証ができずに無罪判決が出た場合、事件はそこで終結します。
たとえ、実際に被告人の犯行であり、そのことが後に新証拠などで明らかになったとしても、一度下された無罪の判断を覆すことはできません。
このような考え方を「一事不再理」といい、憲法に「既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。」と定められています(日本国憲法39条)。
これは、同一の事件について何度も裁判が起こされ、いつまでたっても有罪か無罪かを争われつづけるという事態を避けるための規定です。
このような決まりがあることによって、無罪の判決が確定した被告人は、それ以降はその事件について罪に問われることを心配することなく生活することができるのです。
心神喪失の場合
心神喪失で無罪判決となった場合についても、無罪には違いありませんので、同一の事件についてもう罪に問われることがないのは同様です。
ただし、心神喪失、つまり精神の障害により善悪の判断がつかない状態で犯罪を犯した人を、無罪だからとそのまま社会に戻してしまうと、また新たな事件を起こすことになりかねません。
そこで、心神喪失による無罪の場合は、措置入院という制度によって、強制的に入院の措置が取られることになります(心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律33条1項)。
参考:心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律|電子政府の総合窓口
措置入院は強制力を有するものの、制裁ではなく治療を目的としている点で刑罰とは異なります。
無罪を争うポイント
一度起訴された事件が有罪となる確率は高く、無罪を争うことは簡単ではありません。
そのような中でも無罪を争っていくためには、次のようなポイントがあります。
捜査段階で罪を認めない
無実の場合、警察や検察による捜査の段階で罪を認めないことが重要となります。
犯罪を犯していないのに、一度罪を認める供述をし、それが調書という形で記録に残ってしまうと、後の裁判でこれと異なる主張を認めてもらうことは困難となります。
実際には、捜査段階での供述は強要されたものであり本当はやっていない、といった主張が認められて無罪となることもまったくあり得ないわけではありませんが、これはあくまでレアケースです。
無罪を主張する意思があるときは、捜査の段階から否認や黙秘をつづけて、罪を認めないことが重要です。
取り調べに対する応答については、信頼できる弁護士の助言の下で適切に対応する必要があります。
アリバイを証明する
一般に、無罪を証明することは困難であるといわれていますが、アリバイを証明することができれば、無罪を争える可能性が高くなります。
アリバイとは、犯行があった時刻に現場にはいなかったこと、言い換えると、別の場所にいたことをいいます。
人の体はひとつであり、同時に異なる場所に存在することは不可能であることから、犯行時刻に別の場所にいたことが証明されれば、必然的に犯行現場にはいなかったことが証明されるということです。
アリバイの証明方法としては、外出していたのであれば、駅や店舗などの防犯カメラによって証明できる可能性があります。
また、買い物をした際のレシートや、一緒にいた人の証言といった証拠を固めることによって証明できることもあります。
無罪の立証方法については、以下の記事をご覧ください。
刑事事件に強い弁護士に依頼する
刑事事件で無罪を争う上では、刑事事件に強い弁護士に依頼することも大きなポイントとなります。
刑事事件では無罪となることは珍しく、無罪判決を獲得するためには、刑事事件に強い弁護士による丁寧な弁護活動が鍵となってきます。
一度起訴されるとその多くが有罪判決となる刑事事件において、無罪判決を獲得することは弁護士にとっても高いスキルを要求されるものといえます。
刑事事件で無罪判決の獲得を目指す上では、刑事事件について豊富な経験を有し高い専門性を身に付けた弁護士に依頼することがポイントとなってくるのです。
刑事事件における弁護士選びの重要性については、こちらをご覧ください。
無罪についてのQ&A
自白だけでも有罪になりますか?
これは、自白が強力な証拠であるがゆえに、これに偏重することのないよう、自白以外の証拠がなければ有罪とできないことを定めたものです。
このことは、憲法38条3項や刑事訴訟法319条2項に明記されています。
責任能力なしで無罪はおかしいのでは?
たしかに、責任能力がないといっても外形的には犯罪に当たる行為を行っており、これが処罰されないことに釈然としない心情を抱かれる方もいらっしゃいます。
しかし、刑罰とは「悪いとわかっていたのにやった」ということに対する非難であり、裏を返すと、悪いということがわからずにやった場合には刑罰を科す前提を欠くことになるのです。
責任能力がない場合に罪に問えないことは、刑事司法の分野では広く受け入れられている重要な原則といえます。
泥酔していたら責任能力なしになりますか?
心神喪失の条件である「精神の障害」は、必ずしも精神疾患のような障害に限らず、薬物などの影響による一時的なものも含まれるとされています。
このため、飲酒による酩酊のために心神喪失状態となることは、理屈の上ではあり得ることになります。
ただし実際の裁判実務では、飲酒を理由として責任能力が否定されるケースはほとんどないのが実態となっています。
飲酒と責任能力の関係については、こちらの記事をご覧ください。
まとめ
この記事では、無罪の意味や、無実や冤罪などとの違い、無罪となるケースや無罪を争う際のポイントなどについて解説しました。
記事の要点は、次のとおりです。
- 無罪とは、刑事裁判において、被告人の罪が立証されなかった場合に下される判決のことをいう。
- 無罪は、裁判で被告人の有罪が立証されなかったことを意味し、必ずしも被告人が無実であるとは限らない。
- 刑事裁判で無罪判決が出るのは、被告人が無実である場合のほか、無罪推定の原則による場合や、被告人の責任能力が否定された場合などがある。
- 無罪を争うことは簡単ではないが、取り調べへの適切な対応やアリバイを明らかにすることなどによって、無罪を争えることがある。
- 刑事事件で無罪を争うときは、刑事事件に強い弁護士に依頼することが有効である。
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なぜ刑事事件では弁護士選びが重要なのか