無痛分娩での事故には、その他の出産の場合でも起こる事故(産科危機的出血、羊水塞栓症、脳梗塞など)に加え、無痛分娩のための麻酔による事故(全脊椎くも膜下麻酔、局所麻酔中毒など)があります。
無痛分娩のための麻酔による事故に遭うと、寝たきりになるなどの重篤な後遺症が残る、最悪の場合死亡する、といったことが起こり得ます。
この記事では、無痛分娩による事故の状況、実際にあった無痛分娩の事故に関する事例、無痛分娩のリスクなどについて解説するとともに、無痛分娩での事故を回避する方法、不幸にして無痛分娩での事故に遭ってしまった場合の対処法についても解説していきます。
目次
無痛分娩とは?
無痛分娩とは、陣痛の痛みを緩和するために麻酔をして行う出産のことです。
無痛分娩で用いられる麻酔方法としては、硬膜外麻酔が一般的です。
硬膜外麻酔は、脊髄を覆っている硬膜の外側の空間(硬膜外腔)に局所麻酔薬を投与する麻酔法で、カテーテルを留置して持続的に薬を注入する方法が多く用いられています。
2010年から2016年の間に妊娠中から産後1年以内に亡くなった271例の内、無痛分娩で亡くなった例は14例あるとのことです。
この14例の内、麻酔が原因で亡くなったのは1例であり、その他の13例は無痛分娩を行っていなくても起こりうる事象によって亡くなられています。
こうしたデータからすれば、無痛分娩が通常の分娩に比べて、危険性が高いとはいえないと考えられます。
引用元:平成30年4月 厚生労働省「無痛分娩の実態把握及び安全管理体制の構築について」
無痛分娩に使用される「硬膜外麻酔」
硬膜外麻酔とは、背中から腰の脊髄の近くにカテーテルを入れて、そこから麻酔を少しづつ注入する麻酔の方法です。
赤ちゃんが生まれるまで麻酔を注入し続けるので、途中で麻酔が切れるということはありません。
全身麻酔ではなく、下半身だけの痛み止めなので、出産時にお母さんも意識を失うことはありません。
また、麻酔の薬が直接神経に届くので、赤ちゃんへの影響はほとんどありません。
無痛分娩の死亡事故の件数と原因
厚生労働省が作成した「無痛分娩の実態把握及び安全管理体制の構築について」(平成30年4月)によると、2010年から2016年の間に、無痛分娩を行っていて妊産婦が死亡した例は、14例だったそうです。
同じ期間に、無痛分娩なしに妊産婦が死亡した例は、257例ありました。
つまり、この期間に死亡した妊産婦の約5.2%が無痛分娩を行っていたことになります。
上で挙げた無痛分娩での死亡者の死亡原因は、
- 無痛分娩を行っていなくても起こりうるもの(羊水塞栓症、子宮破裂、産道裂傷、感染症) 13例
- 麻酔が死亡原因となったもの(局所麻酔中毒) 1例
となっています。
無痛分娩で実際に起きた事例
無痛分娩で実際に事故が生じた事例をご紹介します。
エレナさんの無痛分娩事故
2012年に京都府で起こった無痛分娩事故があります。
この事故では、ロシア人のエブセエバ・エレナさんが、無痛分娩で出産しようとしました。
ところが、硬膜外麻酔の際、医師が過失によって注射針をくも膜下腔まで到達させた上、分割投入すべき麻酔薬を一度に注入したなどの事故がありました。
この事故のために、エレナさんは、全脊椎くも膜下麻酔の状態になり、これにより急性呼吸循環不全及び心肺停止の状態になりました。
その後、エレナさんは、搬送先の病院で緊急帝王切開術を受けて出産し、エレナさん自身も一命を取りとめましたが、意思疎通ができない寝たきり状態となる重度の後遺障害を負ってしまいました。
生まれたお子様も、重症新生児仮死状態で出生して新生児低酸素虚血性脳症等と診断され、重い障害を負い、2018年に6歳で死亡しました。
この件で、医師は過失を認めており、京都地方裁判所で、2021年3月26日、約3億円の損害賠償の支払を命じられました(裁判例結果詳細 | 裁判所)。
なお、この医師は、業務上過失傷害の疑いで書類送検されましたが、最終的に、嫌疑不十分で不起訴とされています。
参考:無痛分娩で障害、賠償命令 京都の産科医院に3億円 – 日本経済新聞
無痛分娩中に心肺停止し身体障害者1級の障害を残したケース
硬膜外麻酔による無痛分娩を行う予定であったところ、医師が、針とカテーテルを深く刺してしまい、くも真下麻酔の状態になり、急性呼吸循環不全、心肺停止の状態になってしまった事案です。
この事案では、お母さんは身体障害者1級の障害を残し、赤ちゃんは約5年後に亡くなりました。
裁判では、お母さんに対して約2億4000万円の賠償を認め、赤ちゃんの損害として、約5500万円の賠償が認められました。
参考:京都地判令和3年3月26日裁判所HP:裁判例結果詳細 | 裁判所
無痛分娩の3つのリスク
無痛分娩には、他の出産にはない特有のリスクがあります。
無痛分娩特有のリスクは、以下のようなものです。
麻酔による事故・合併症のリスク
無痛分娩では、麻酔を行うことになります。
この麻酔による事故・合併症として、次のようなものがあります。
- 硬膜の内側にある脊椎くも膜下腔にカテーテルが流入・迷入し、上半身にも麻酔の効果が及ぶ「全脊髄くも膜下麻酔」となってしまい、呼吸停止に至ってしまう
- 局所麻酔中毒を起こす
- 麻酔によるアナフィラキシーショックを起こす
- 針を刺す際に神経を傷つけてしまう
- 低血圧、吐き気、かゆみ、発熱などの合併症が起こる
これらの中には、一時的な症状ですぐに解消するものもありますが、中には、重篤な後遺症を引き起こしたり、死に至らしめたりするものもあります。
出産中の異常に気が付くのが遅れるリスク
出産中に起こる異常の中には、子宮破裂や常位胎盤早期剝離などのように、痛みが発端となって発見されるものがあります。
ところが、無痛分娩では、麻酔を使用しているため、異常が起こった際にも妊産婦があまり痛みを感じなくなってしまいます。
そうすると、異常が生じていることの発見が遅れ、対応が後手に回ってしまうリスクがあります。
出産が順調に進まないリスク
無痛分娩の場合、分娩が遅れる、いきむことが上手くできなくなる、といったことが起こり、出産が順調に進まなくなるリスクがあります。
実際、無痛分娩では、自然分娩の場合よりも吸引分娩・鉗子分娩が多くなる傾向があります。
無痛分娩の事故を回避するために
無痛分娩での事故を回避するためには、どのような方法があるでしょうか。
考えられる方法としては、次のようなものがあります。
人的・物的設備の整った施設で無痛分娩を行う
まずは、安全に無痛分娩を実施できる施設を探すことが大切です。
無痛分娩をする施設を選ぶ際には、
- 無痛分娩の実施数、成功率はどうなっているか
- 麻酔担当医がいるか
- マニュアルは作成・周知されているか
- 麻酔による事故が起こった場合に備えた準備をしてあるか
- 無痛分娩関係学会・団体協議会(JALA)が認定する研修に参加しているか
などについて確認し、安全に無痛分娩を行える施設かどうか見極めるようにしましょう。
無痛分娩の安全な実施のために望ましい施設の体制については、「産婦人科診療ガイドライン・産科編2020」(p275)でも言及されていますので、これを参考に、医師に病院の体制について尋ねてみることも有効だと思われます。
なお、以下のJALA(無痛分娩関係学会・団体連絡協議会)のページでは、全国の無痛分娩施設を検索することができます。
このページで検索すると、産婦人科医師、麻酔科医師の人数、分娩取扱実績、無痛分娩に関する対応方針とマニュアル等の整備状況、無痛分娩に関する設備等(AED・蘇生用設備等)の配備状況などについても確認することができます。
参考:全国無痛分娩施設検索 | JALA (jalasite.org)
健康管理を十分行う
無痛分娩の場合でも、他の出産と同様の原因(産科危機的出血、脳梗塞など)で出産事故が起こる可能性があることに変わりはありません。
こうした出産事故に遭う可能性を下げるためには、妊娠中の健康管理が重要になります。
万全の健康管理をしても出産事故が起こることはあるのですが、健康管理が上手くいけば、出産事故に遭う危険性を下げることはできます。
妊娠中は、医師から食事、運動などの生活に関する様々なアドバイスを受けることになりますので、できるだけそれらを守り、健康管理に努めるようにしましょう。
出産事故については、以下のページでも詳しく解説しています。
場合によっては、無痛分娩を諦める必要があることも・・・
無痛分娩を行っている施設は、残念ながら多くはありません。
特に、地方では、JALA(無痛分娩関係学会・団体連絡協議会)の検索サイトに掲載されている無痛分娩施設が県に2~3件という所もあります。
県によっては、県内に1件も無痛分娩を取り扱っている施設がない、ということもあります。
このように無痛分娩を実施している施設が少ない中で、さらに安心して無痛分娩ができる施設を探すことは、決して簡単なことではありません。
そのような中で無痛分娩施設を探していると、「無痛分娩ができます」と標榜しているけれども、実績や病院の体制に疑問がある・・・という病院に行き当たることがあるかもしれません。
他に無痛分娩ができる施設がないとなると、「この施設でも仕方ないか・・・」と思うかもしれませんが、こうした施設で無痛分娩を行うと、事故に遭うリスクが高まってしまうおそれがあります。
安全性が高い無痛分娩施設が見つけられない場合は、残念ではありますが、無痛分娩を諦めることも、選択肢として持っておくことをお勧めします。
無痛分娩による事故が発生した場合の対処法
無痛分娩で不幸にも事故に遭われてしまった場合、次のような方法で事態に対処していくことになります。
病院に説明を求める
まずは、病院に、なぜ事故が起こったのか(事故の経緯、原因)、病院の責任についてどう考えているのかなどについて説明を求めることが多いです。
納得のいく説明が得られなければ、
- 院内調査を行うように求める
- 弁護士に依頼するなどして患者や家族自ら調査・責任追及を行う
といったことも考えられます。
病院が責任を認めている場合には、賠償金、謝罪、再発防止などについて話し合うべく、和解交渉を行うことになります。
解剖を行う
被害者が亡くなってしまった場合には、真相究明のため、解剖を行うことをお勧めします。
ご遺族としては、「これ以上家族の身体にメスを入れられたくない」「早く連れて帰ってあげたい」というお気持ちから、「解剖は拒否しよう」とお考えになられることも多いかと思います。
そのお気持ちは、もっともなものです。
しかし、解剖を行わず、正確な死因が分からないままになってしまうと、後々病院側の責任を追及しようとしたときに支障が生じかねません。
場合によっては、「医師に過失はあったけれども、そのことが被害者が死亡する原因になったとは認められない」ということになり、医師に責任を取らせることができなくなるおそれがあります。
ほかにも、解剖が行われず死亡するに至った正確な原因が分からないと、医療の側でも再発防止に活かすことが難しい、という問題があります。
解剖することについては、一度、前向きにご検討されることをお勧めします。
医療過誤に強い弁護士に相談する
無痛分娩による事故が医師のミスによるものではないかという思いがある場合には、早めに医療過誤に強い弁護士に相談することをお勧めします。
医療過誤問題は、医療と法律両方の専門知識が必要となる難しい問題です。
そのため、両分野に詳しい、医療過誤に強い弁護士のサポートを受けることが、大変重要になります。
医療過誤に強い弁護士に相談・依頼すれば、
- 医師の行為が医療過誤に当たるかどうかの見通しについてアドバイスしてくれる
- カルテ、医学文献など必要な資料を集めてくれる
- 病院と交渉する際の窓口になってくれる
- 損害賠償額の相場についてアドバイスしてくれる
- 医師の責任を追及する手続きについて教えてくれる
- 裁判を起こす際に代理人になってくれる
といったメリットがあります。
医療過誤問題については弁護士に相談すべき理由、弁護士を探す際のポイントなどについては、以下のページをご覧ください。
無痛分娩の事故についてのQ&A
無痛分娩は危ないですか?
無痛分娩には特有のリスク(麻酔事故、麻酔中毒、分娩が遷延するなど)があります。
無痛分娩を希望する場合は、安全性の高い施設を選ぶことがとても大切になります。
なぜみんな無痛分娩にしないの?
日本で無痛分娩を行った件数は、2020年には全体の8.6%となっており、着実に増加しています。
参考:わが国の無痛分娩の実態について(2020年度医療施設(静態)調査の結果から) | JALA (jalasite.org)
しかしそれでも、未だ無痛分娩を行う人は少数派です。
日本で無痛分娩を行う人がそれほど多くないことには、次のような理由があると考えられます。
①費用がかかる
無痛分娩は保険が適用されないため、10~20万円程度と安くはない追加費用が掛かります。
この費用負担が重く、無痛分娩を選ぶことを諦める人もおられると思われます。
②無痛分娩のリスク
既に解説したとおり、無痛分娩にはリスクが伴い、時には、麻酔に関わる事故で死亡する、重篤な後遺障害を負う、ということもあります。
一時期、こうした無痛分娩のリスクに関する報道が多くなされたため、「無痛分娩は危ないもの」との意識を持っている方も少なからずおられるかと思われます。
そうした方は、ご自身の出産の際に無痛分娩を選択することは躊躇するでしょうし、友人、家族、親族などが無痛分娩をしようとしていると、止めるように説得することもあるかと思われます。
そうした影響で、無痛分娩を選択しない方が多くなっている可能性があります。
③無痛分娩に適した施設が少ない・偏在している
日本では、出産を取り扱う施設のうち無痛分娩を取り扱っている施設は26%程度(2020年)と少なく、妊婦が手軽に無痛分娩を選択することができないという現状があります。
参考:わが国の無痛分娩の実態について(2020年度医療施設(静態)調査の結果から) | JALA (jalasite.org)
また、都市部には無痛分娩が行える施設が多くあるけれども、地方では少ない、という、無痛分娩が行える施設の偏在という問題もあります。
たとえば、JALAの全国無痛分娩施設検索に登録されている無痛分娩施設は、東京都では59件、愛知県では38件、大阪府では27件、福岡県では26件ありますが、東北地方の6県では合計8件、甲信越・北陸地方の6県では合計10件の無痛分娩施設しかありません。
このように、地方と都市部では無痛分娩施設数に大きな差があります。
参考:全国無痛分娩施設検索 | JALA (jalasite.org)
そのため、地方で出産する人は、無痛分娩を選びにくいという実態があります。
④文化的背景
日本には、「お腹を痛めて生んでこそ母親」「お腹を痛めた子だからこそ愛情を注げる」といった考え方が根強くあるといわれます。
そのため、妊婦自身が無痛分娩を敬遠したり、家族・友人などから無痛分娩を止めるようにとのプレッシャーをかけられ、無痛分娩を諦めたりすることが多くある可能性があります。
まとめ
今回は、無痛分娩による事故の状況、事例、無痛分娩のリスク、無痛分娩で事故に遭うリスクを下げる方法、事故に遭った場合の対処法などについて解説しました。
より良い出産を願って選択した無痛分娩で事故に遭ってしまい、命を落としたり、重い後遺障害を負ってしまったりした方及びそのご家族のご無念は、計り知れません。
無痛分娩を希望する場合は、出産する施設を慎重に選択するようにしましょう。
もしも事故に遭われてしまった場合は、なるべく早く、医療過誤に強い弁護士に相談し、サポートを受けるようにしましょう。
当事務所の人身障害部でも、交通事故でのケガに関する対応で医学的知識を蓄積しきた弁護士たちが、医療事件に関するご相談をお受けしております。
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無痛分娩の事故に関してお困りごとがある方は、ぜひ一度、当事務所までご相談ください。