平成29年10月14日、西南学院の百年館において、「LGBTと制服」と題したシンポジウムを、福岡県弁護士会の子どもの権利委員会とLGBT小委員会の共催で開催しました。
福岡市教育委員会の名義後援も得て行ったこのシンポジウムは、結果として教師の方などをはじめ180人近くの方に来ていただけ、大成功のシンポジウムとなりました。
当事務所の弁護士入野田智也も、このシンポジウムの企画に携わりましたので、シンポジウムを踏まえた「LGBTと制服」の在り方を考察していこうと思います。
なお、この記事は、同弁護士入野田が福岡県弁護士会の会員向け月報に掲載したものを改訂したものです。
LGBTと制服の問題とは
LGBTという言葉は少しずつ社会に定着してきており、社会においても、弁護士の間でも少しずつ認知されてきています。
まず、おさらいとして確認しますと、LGBTとは、L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダーの頭文字をとったものです。
しかし、現在では性的少数者を総称する用語としても用いられておりますし、LGBTIやLGBTQなどと呼ばれることもあり、昨今ではより適切な語として、「SOGI(Sexual Orientation & Gender Identity)」、つまり「性的指向及び性自認」という語が用いられることもありますが、未だ「LGBT」という言葉ほど社会には浸透していないように思います。
LGBTと制服の問題ですが、性的少数者、特にトランスジェンダーにとっては、自分の自認する性と異なる性を前提とした制服を着用させられることが苦痛であり、自己を否定されているような気持ちを持つ方もいるという現状が有ります。
性自認が男性の方は、無理やりスカートを履かされたらどうかを考えてみると分かりやすいかもしれません。
おそらく、ほとんどの男性がスカートを履くことは「嫌だ」「恥ずかしい」と考えると思いますが、トランスジェンダーの方は、その嫌だ、恥ずかしいと思うことを強要されているのです。
このようなLGBTを取り巻く制服の現状や、制服を男女で分けている学校の制度に問題意識を持ち、今回は「LGBTと制服」という題目でシンポジウムを行ったのです。
シンポジウムの内容について
シンポジウムは、第一部がLGBTの子どもたちの交流会や電話相談などをしているFRENS代表の石崎杏理さんの基調講演及び実際に制服で悩んだ経験のある子どものビデオメッセージでした。
そして、第二部は第一部で講演をしてくださった石崎さんに加え、佐賀大学教育学部の吉岡教授、福岡女子商業高校の柴田校長、そして福岡県弁護士会の松浦弁護士の四名の方によりパネルディスカッションを行いました。
「小石の上」を歩く当事者
第一部の講師である石崎さんは、日頃からLGBTの子どもたちの悩みを聞いており、自身も制服に悩んでいたトランスジェンダーですので、内容が大変リアルで、石崎さんにしか語れないであろう貴重な内容でした。
講演では、前述のようなLGBTの基礎的な知識から、当事者が普段の生活の中で周囲の人からいじめにあったり、自己の性自認とは異なる言動や格好を強いられたりと、たくさんの悩みを抱えていることをお話いただきました。
また、当事者は、誰かに悩みを相談したくても、相談する相手が理解してくれるのか不安でカミングアウトができず、誰にも相談できずに抱え込んでしまい、人付き合いをうまくできないという現状もあるとお話していました。
その講演の中でもLGBTの子どもたちが普段の生活の中で痛みを感じていることを、「毎日、裸足で小石の上を歩いている」という例えで説明していましたが、その例えはLGBTの子どもたちが普段の生活の中でいかに痛みを受けて傷ついているのか、傷ついている事自体が当たり前のようになってしまっているのかといった現状を的確に示していると感じました。
LGBTの子どもたちは、些細な日常の出来事でさえ、痛みを感じ、傷付いているのでしょう。
また、性別は女性であるけれども性自認は男性(いわゆる「FtM」)のビデオメッセージは、「制服を着る」ことが自分の性自認とは異なる「女性」というレッテルを貼られることになり、自己を否定されているような学生時代を過ごした当事者の苦しみを、鮮烈に伝えてくれました。
制服を着なければ同級生から奇異の目で見られ、着たくないと訴えても教師にも分かってもらえない、そんな自身の痛み苦しんだ体験を生々しく語っているビデオメッセージであり、石崎さんが語っていた小石が実際にどのようなものなのかをよりリアルに教えてくれたと思います。
このような痛みがあることを、非当事者の人たちもしっかりと認識していく必要があります。
悪気なく小石を置く「鬼」になってはならない
多くの人は、知識がないがゆえに、知らない間に当事者の生活にこの小石を置いているのです。石崎さんの例えを借りれば、それまで「良い人」だったのが突然「鬼」のようになるそうですが、なかなか非当事者には想像が難しいと思います。
私たちには知識がない場合にどのように「鬼」になるかはわかりませんので、非当事者にもわかりやすいたとえとして、石崎さんは「牛乳アレルギー」を例えに、分かりやすくお話ししておりました。
牛乳アレルギーについての知識を全く持っていなかったとしたら、私たちは、「牛乳を飲めない」子に対して、何も理由を聞かずに「牛乳を飲まない」子だと思い、その子に対して、「わがままだ」とか言ってしまうかもしれませんが、アレルギーというものがあると言うことを知っていれば、この子はアレルギーなのかもしれないという思いに至ることができます。
「アレルギー」について知っている人から見れば、アレルギーの子に「わがまま」だと言っている「アレルギーを知らない」人は、鬼のような人だと思うことでしょう。
石崎さんの話やビデオメッセージを聞いて、自らが、知らずにその小石を置いてしまっていることに気づいた人も少なくなかったのではないかと思いますし、この記事を読んでいらっしゃる方々にも小石を置いていた人がたくさんいるのではないかと思います。
私たち弁護士も、普段の法律相談の中で小石を置いてしまっている可能性がありますから、弁護士も最低限の知識を身に付けることは怠らず、「鬼」とならないように努めることが必要だと考えております。
当事務所では、LGBTに関することを知ろうと努めています。
個別対応すれば良い?
第二部のパネルディスカッションでは、シンポジウムの題目である「制服」に焦点の当てられた議論がなされました。
なお、制服は、着ることが強制されているように思っている人も多いですが、法令等で決められているわけではなく、正確には着用義務のない「標準服」だそうで、標準服をどうするかは学校長の裁量で決められているものだそうです。
パネリストの一人である柴田校長が現に取り組まれてきた「制服の選択制」はLGBT問題に取り組む際に、制服問題に限らない視座を与えてくれます。
柴田校長は、すでに福岡女子商業高校において、女子生徒がズボンを選択できるようにし、今なお制服がどのようにあるべきかを考えていらっしゃるとのことでしたが、そのきっかけは、人権研修会で石崎さんの講演を聞いたときに制服で悩む子どもがいるということを知ったことだったそうです。
また、多くの生徒が自転車通学する姿を見て、「冬にスカートでは寒いのではないか」ということも考え、 LGBTに対する配慮という面だけではなく、防寒の面からも制服の選択制を導入されたようです。
福岡女子商業高校では、制服をどうするかということは校長や教師に申告する必要はなく、その理由も問わない、つまりLGBTかどうかというのは無関係に制服を選べることにしているそうです。
この記事を読んでいる方の中には、選択制ではなく、申告制にして個別対応すれば十分ではないかと考える人もいるかと思います。
しかし、柴田校長は、この点について、制服を選ぶことでアウティング(自分が当事者だと言うこと)になる可能性を指摘し、アウティングになってしまうのでは選択制にする意味が無いとおっしゃっていました。
柴田校長は、生徒に対しても、制服の選択制を説明する際にLGBTの人への配慮であるということは言わず、制服の選択制を導入した理由について、「スカートでは寒いから」「ズボンのほうが動きやすいから」といった説明をしているそうです。
私たちは安易に個別対応で良いのではないかと思ってしまうこともありますが、個別対応では当事者の痛みは消えず、また小石を新たな小石にすげ替えただけになってしまう可能性もあります。
しばしば聞く例えですが、LGBTの方々に配慮しますと言って、会社にLGBT専用トイレと明言したトイレを作ったとしたら、そのトイレを使うことは自分がLGBTだとアウティングすることになってしまい、それでは本当に使いたい人が使えないことになってしまいますよね。
このような柴田校長の視点や配慮は、制服だけに限らず、LGBT問題やその他の人権問題を考えていくにあたって必ず必要な視点となるでしょう。
LGBTに限らない「制服」の問題
今回のシンポジウムは、LGBTと制服という題目ですが、松浦弁護士からは制服の問題はLGBT当事者のみの問題ではないことや、日本が子どもの権利について十分な施策を取ってきていないことの指摘がありました。
また、吉岡教授からは、名簿の順番や家庭科の授業の履修などで学校内で男女が分けられてきたその歴史を語っていただき、改善された点や残された問題点について指摘していただきました。
そして、石崎さんや柴田校長も制服の問題をLGBT固有の問題とは捉えておらず、このシンポジウムのパネリストの方々の共通認識として、男女を分ける学校の制度そのものへの問題意識があったと思います。
今まで当たり前のように男女を分けていた制度を取り除き、子どもが自分自身で選べる力を身につけることのできる制度にすることが子どもの成長につながるように思います。
現に、柴田校長は制服を選択制にするにあたり、子どもの意見を取り入れ、子どもにどのような制服が良いかを考えてもらっているようで、子どもの主体性を育んでいるともお話されていました。
終わりに
今回は、LGBTと制服という題目でシンポジウムを行い、その考察を行いましたが、前記のとおり、制服の問題はLGBTに限らない問題ですから、子どもたち一般の問題としても考えていく必要があります。
そもそも、男子生徒は詰襟、女子生徒はセーラーにスカートというのは、昔ながらの価値観の押しつけであって、制服の選択制はやはり取り入れるべきではないでしょうか。
来場者に対するアンケートでも、制服について、選択制を取り入れた方が良いという声がほとんどだったようです。
もっとも、制服をなくすということには反対の意見も少なくなかったようです。
その反対の理由は、学校への同窓意識や貧困への配慮(私服が買えない人への配慮)というものがあったようでした。
これらの意見については、様々な意見があると思いますが、必ずしも制服がないといけない理由にはならないように思います。
私は、「制服をなくすべきか」という制服ありきの問いを見直し、「子どもたちの成長のためには学校がどうあるべきか」という視点の中で、制服が子どもの成長に与える影響を語るべきだと思っています。
石崎さんのアレルギーの話でもありましたが、今まで子どもたちの「わがまま」で切り捨ててきたものを、なぜ子どもが制服を着ないのがわがままなのか、子どもには制服を選択する権利があるのではないかということを改めて真剣に考える必要があるでしょう。
福岡の中では、義務教育において制服の選択制を取り入れている学校はほとんどありませんが、今回のシンポジウムには教育関係者の方々にも多くご参加いただきましたので、今後、教育関係機関がこの制服問題にどのように取り組んでいくのかは楽しみなところです。
弁護士会の中でも、このシンポジウムを契機に「福岡市の制服を考える会」が発足しており、同会は今回のシンポジウムの結果に満足することなく、制服を含めた教育における子どもの問題により一層取り組む準備をしているので、私も微力ながらその一助となれればと考えています。
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